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佐世保簡易裁判所 昭和34年(ろ)79号 判決

被告人 今村公義

昭三・一・二生 炭鉱保安係

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は別紙のとおりであるが、当裁判所は次の理由により無罪の言渡をする。

一、すなわち先づ公訴事実記載の日時場所において落盤事故が発生したこと及び被告人が該現場の担当保安係として勤務していたことは証拠上明らかである。

しかして事故発生前後の状況をみるに、現場は坑口から二百六十七米延先にある右二片から更に百三十米先の掘進箇所であり、昭和三十三年十一月十三日午後三時三十分ごろ右現場で作業中の掘進夫尾崎秋男(当三十八年)及び採炭夫諸岡伝一(当三十五年)の奥岩盤の掘進作業を容易ならしめるため被告人は右両名を待避せしめたうえ、同所岩盤にマイト九本を仕掛けて爆破し、十五分ないし二十分経過した午後四時少し前ごろ現場の状況を検査すべくピツケルで天盤、枠木等を叩き約五分間に亘つて詳細に異状の有無を調べたが、別段異常はなかつたので右両名に異常のない旨を告げて立去り、午後六時ごろ保安助手川口円と交替して坑外に出た。川口は更に現場に赴き発破後の天盤及び枠木を点検したが別に異常はなかつた。ところが同日午後六時三十分ごろ(発破後約三時間経過)突然本件落盤事故が発生し、右坑夫両名はそのため公訴事実摘示のとおりの傷害を負うに至つた。事故現場は前記のとおり掘進坑道の延先であるが、現場には落盤防止のための杉又は樫等の木材で一米ごとに枠木が組立てられ天盤と枠木の間にはいわゆる木積が打ち込まれていたが、本件落盤により天盤の砂岩ないし前記木材の一部がくずれ落ちていた。

二、しかして当公廷における証人坂田数夫の供述及び鑑定人大隅芳雄作成の鑑定書の記載によれば、本件現場の天盤は砂岩層であり、砂岩層の場合はピツケルによつて大体三十糎の深さまで異常の有無が打診可能であること及び右のようなピツケルによる打診以外に落盤の有無を検査する方法は保安係には与えられておらないことが認められ、このようなピツケルによる打診によつて保安係が点検しても異常を認めなかつたというのであるから、本件落盤は天盤内部には地圧の均衡が破れていたものの外見上は現在の炭坑保安技術の水準では、これを予見することができない間に生じたものと推断するより外はないのである。

この点について検察官はピツケルによる打診を簡単な点検となしそれ以上の点検方法をしなかつたことを以つて被告人の注意義務違背と主張するようであるが、右主張の失当なことは右に述べたところより明白である。

三、検察官は公訴事実摘示のとおり天井の木積と両側の枠木が多少隙が出来てゆるみが生じていたことを被告人が認めながらその補修をしなかつたと主張し、諸岡伝一の司法警察員に対する供述調書並びに被告人の検察官に対する供述調書中には右主張に副うような供述部分が存するのであるが、右各供述部分自体からしてもそのゆるみの場所程度等が甚だあいまいではつきりしないばかりでなく、被告人は当公廷においてこの点につき事故の原因を捜査官から聞かれ追求され結局枠木のゆるみでもあつたと答えるより仕方がなかつたのでそのように述べた旨供述しており、右供述と対比するとき前記各供述調書の供述記載部分はたやすく信用し難いから、はたして被告人が点検に際し公訴事実摘示のとおりゆるみを確認していたかどうかは疑わしいといわなければならない。又被告人の前記点検の仕方からすれば右点検に不十分なところがありそのためゆるみを発見できなかつたのではないかと推測することも困難である。

四、本件現場はいわゆる断層地帯の近くであつたと推測できるのであるが、断層地帯の近くで発破をかけたからといつてそれがため必ず落盤事故が生ずるというわけのものではないことは前記坂田証人の供述により認められる。また鉱山保安規則第一五九条第三項に坑道の掘進箇所においては先受けをしなければならぬ旨の規定があるがこれは落盤又は崩壊のおそれのある場合に限られていることは同条第一項の規定に徴し明らかであるから被告人が保安係として本件現場においてマイトを仕掛けた後の点検により落盤の危険なしと判断している以上先受設備をしなかつたからとてこれを以つて直ちに被告人の過失ということはできない道理である。なお事故の前日現場附近に枠木の一部倒壊及び落盤のあつたことは坑内保安日誌(証第一号)に記載されているけれども、右枠木倒壊は当日現場附近でマイトをかけたためであり、直ちに修理されており、落盤も直ちに施枠がしなおされていることは被告人の当公廷における供述及び右保安日誌の記載に徴し明白であるのみならず、証人坂田数夫の当公廷における供述によれば前日に落盤があつたからといつて、その後同じ箇所が落盤するかどうかということは一概に言えず、専ら保安係員のピツケルによる打診による検査によつて落盤の危険の有無を判断すべきものであることが認められ、これと前日の落盤自体が保安日誌の記載上天盤落下とあるに徴し極めて小規模のものであることが推測される(司法警察員作成の実況見分調書添付第四図面には事故直前の状況を示すにあたつて前日の落盤の痕跡は何等示していない。この点に関する証人坂田数夫の当公廷における供述部分は信用しない。)こと等を考え併せると前日の現場附近の前記の状態は被告人が本件事故を予見すべき徴候を示したものとは言えない。

五、これを要する本件落盤ないしこれによつて生じた前記傷害は被告人ら保安係の業務上通常の注意義務を以つてしても果して未然防止が可能であるかどうか頗る明確を欠くから結局本件は犯罪の証明がないと言はざるを得ない。

よつて刑事訴訟法第三百三十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松本武)

公訴事実

被告人は佐世保市口ノ尾町通称西ノ岳山所在浅田工業株式会社西肥炭礦保安係として鉱山労働者の就業に関し危険の虞が多い箇所を巡視し落盤、崩壊、爆発、火災、自然発火、出水その他の危険の有無を検査し、発破をするときは発破の前後に火薬類、岩盤の検査等保安の為め必要な処置をなし危険または危険の虞が多いときは鉱山労働者に必要な指示を与えて直ちに作業の中止、通行の遮断その他の応急処置をなさねばならない等の任務を有する業務に従事中、昭和三十三年十一月十三日午後三時三十分頃坑口より二百六十七米延先掘進箇所である坑内右二片に於て奥岩盤の掘進作業を容易ならしむる為め同所で作業中の掘進夫尾崎秋男(三十八年)採炭夫諸岡伝一(三十五年)を約百三十米離れた捲立場附近に待避させた上同所岩盤にマイト九本を仕掛けて爆破し約十五分乃至二十分経過後爆破後の安全を検査したものであるところ、同所は砂岩石の盤質で軟弱であつた斯る場合検査を為すに当つては特に爆破の反動により落盤又は崩壊の危険の虞があるので天井の岩盤と木積の間、両側岩盤層と枠木の間等に間隙を生じ危険なきや等を詳細に点検し保安上不備の個所があれば直ちに補修する等その他適当の方法を構じ危害の発生を未然に防止する業務上の注意義務があるにかゝわらず不注意にもこれを怠りピツケルを以て岩盤並枠を叩いてみた程度の簡単な点検を行い、その際天井の木積と両側の枠木に多少隙ができ緩みを生じていることを認めたがこれを補修しないでも落盤事故等の危険発生はあるまいと軽信し前記尾崎秋男、諸岡伝一の両名に対し「異状なし」と申向け同人等を作業に従事せしめて同所を立去つた為め前記爆破により緩みを生じた岩盤が天井より下方側盤層に重圧を加へ同日午後六時三十分頃突然側枠、木積を押倒して落盤を始め巾約四米奥行約四米の岩盤が落下し同所から逃げ遅れた右両名を下敷とし尾崎秋男に対し右足関節打撲傷により安静加療二週間、諸岡伝一に対し背部打撲傷兼擦過傷により安静加療二週間を各要する傷害を負わせたものである。

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